エトワールに寄せて

「君の"一瞬"を"永遠"にしたいんだ」

片手ぶんの歳月に、両手いっぱいの愛を添えて

 

 

 

 

当ブログ、「エトワールに寄せて」は、今まで"薮くんのこと"をメインに書いてきましたが、今回は初めて、"わたしのこと"を書きたいと思います。

お付き合いくださると嬉しいです◎

 

 

 

2016年10月9日。

5年前の今日、夕暮れ時の横浜アリーナの物販会場で、どこにでもいる、ありきたりな一人の女の子の人生が変わった。

 

「薮くんのうちわください」

震える声で物販のお姉さんにそう伝えたとき、胸にストンと落ちてきた、「わたしは"薮担"なんだ」という感覚。その瞬間のことを、5年経った今でも鮮明に覚えている。「DEAR.」のツアーバッグに入った、薮くんのうちわ、薮くんのフォトセット、薮くんのファイル。それらを大切そうに肩に提げて、雲を踏むような足取りでホテルへ向かった日。

 

これは、どこにでもいる、ありきたりな女の子が、"薮担"になった時のお話です。

 

 

 

薮くんに出会う前、わたしは2次元と、2.5次元俳優を追いかける、ゴリゴリのアニメ・漫画好きのオタクでした。

わたしは、自分に自信がなく、常に自分を卑下し、自分に「ブス」というレッテルを貼ることで自分を守り続けているような、寂しい人間だった。同世代の女の子が、どんどん可愛く、女性らしくなっていくのを横目に、「自分はああはなれない」と斜に構え、「努力しても無駄」、「『努力してそれかよ』と笑われるくらいなら、最初からしない方がいい」と、殻に閉じこもっていた。この先も、自分にはキラキラした世界は味わえないと高を括っていたし、自分に期待して努力することも、自分の可能性を見出すことも諦めていた。綺麗で可愛い人の横に立てば、「どうせわたしは引き立て役なので」と自ら自分を蔑んだ上で引き立て役に徹し、「ブス」と言われれば「そうなんですよ〜」とへらへらと笑ってみせた。いつしか「正論を言われている」と受け取るくらい、自己否定感が成長した。

 

2016年10月10日。

初めて、Hey!Say!JUMPのコンサートに入った日だった。薮担1日目。自分の人生で初めてのコンサートに、「薮担」として入れたことを、わたしはこの先もずっと誇りに思うだろう。

この日、メインステージからセンターステージに伸びる花道を歩く薮くんの背中を見たときに、「薮くんの"好きな人"になりたい」と考えて、胸がギュッとしたことを覚えている。

 

コンサートの会場内に居たのは、それぞれがそれぞれの「可愛い」を纏い、大好きな人に会うために、この日のために用意した、「とびきりの自分」を連れてきた人ばかりだった。

そんな光景を目の当たりにしたわたしは、帰宅途中の新幹線の中、生まれて初めて「可愛くなりたい」と、誰かに伝えたくなった。

 

 

その日から、魔法にかけられたように、わたしの生活は変わった。そして、今もわたしは魔法にかけられたままである🪄🪞✨

 

薮くんの手によって魔法にかけられたわたしは、「可愛くなりたい」、「綺麗になりたい」と、声に出して言うことを恐れなくなった。

昔から憧れていた、可愛いお洋服に袖を通してみたりも、した。ドキドキしながら鏡の前に立った時、思っていたよりもそのお洋服が自分に似合っていたことが、涙が出るほど嬉しかった。わたしも「可愛い」を纏えるのかもしれないと、自分に可能性を見出すようになった。

「髪が綺麗な人が好き」と、昔からインタビューで答えていた薮くんを見て、ヘアケアに力を入れるようになった。手櫛でさえ通らなかったギシギシの髪が変わっていくさまは、わたしに自信と勇気を与えてくれた。

今も変わらず、どんなに疲れていても、どんなに眠くても、ヘアケアだけは怠らない。わたしの髪には、薮くんに与えてもらった"自信"が宿っている。

 

そうやって少しずつ、俯いていた自分が顔を上げて、光が差す方向に歩き始めた時、初めて「自分そのものは好きじゃないけれど、薮くんのことが好きな自分は好き」と思えるようになった。

自分にかけられた"呪い"を、捨てるわけではなく、共存しながらも、影に潜めさせたり、見なかったことにしたりしながら、「薮くんの"好き"に近付きたい」という原動力だけで、5年の歳月を走り抜けてきた。

そして、ただひたすらに「薮くんの"好き"に近付きたい」と走り抜ける中で、時々、「可愛い」や「素敵」という言葉を向けていただけるようになった。"呪い"が存在するわたしは、今までその言葉を上手く受け取ることが出来なかった。

だけど、「薮くんの"好き"に近付きたい」と努力した自分に素敵な言葉を向けてもらえるのは、薮くん自身がわたしを変えたからだと、気付いた。誰かから見たわたしが、「可愛い」や「素敵」という言葉をかけていただけるのは、薮くんが、"わたし"という一人の女性を変えたからだ。

その言葉は、"わたし"を通して、"薮くん"を褒めていることに繋がるのではないか、と、初めて思うことが出来た。それからは、誰かに素敵な言葉をかけていただくたびに(いつもありがとうございます🥲✨)、「薮くんのおかげ」と感じるようになった。

 

 

 

わたしは、薮くんに恋をしている。

好きになった瞬間から、失恋が確定した、永遠の片想い。

薮くんの隣で生きる未来は、どんなに泣いて懇願しても、わたしの人生には用意されはしない。他人はわたしを見て、「いい歳して」と、「現実を見ろ」と、笑うかもしれない。

だけど、わたしは薮くんに対する"恋"という感情を、自分の意思以外で手放すことはこの先も絶対に無いと言い切れる。

叶わないから、報われないからと、簡単に手放せる感情なら、5年前の今日から、5年後の今日までのわたしは存在しない。

「叶う」、「叶わない」を天秤にかけて、「叶わない」が勝つから諦めるほど、簡単な感情ではない。

何度だって言いたい。

わたしは今、人生で一番幸せな片思いをしている。

 

 

 

わたしは、薮くんを好きになって、強くなれた。「好きな自分」が自分の中に生まれた。自分を愛することは、大切な誰かを愛することに繋がることを知った。真摯に目の前のことに向き合う大切さを知った。そして、どんな些細なことでも宝物だと思える心を知った。

全部薮くんが与えてくれたもの。ここには書ききれないほど、沢山ある。

薮くんを通して得たもの全てがわたしの宝物です。

 

 

 

だから、「薮担であること」、それは、わたしにとって絶対的な誇りです。

わたしの人生を変えてくれた薮くんが好きだということを、誰に対しても隠さずに言える。「薮担であること」は、わたしにとって誇りであり、自慢です。世界中のどこを探しても、5年間、わたしの「一番」に君臨し続けた人は薮くん以外存在しない。

この先の不確定な未来で、わたしの「一番」が薮くんであり続けるかどうかは、分からないけれど。"今"の自分が、「この先の未来の自分も、薮くんのことが一番好き」と誓える。嘘偽りない真実が、"今"、この瞬間に存在している。

 

いつか、片手ぶんの歳月が両手いっぱいになったとしても。両手では足りなくなったとしても。わたしの「一番」は、薮くんただ一人だと、今のわたしが誓える。誓いたいと思う。

 

 

 

2016年10月9日から、今日までの1826日。薮くんのことを考えない日は、1日たりともありませんでした。

この5年間の全てがわたしの宝物です。

薮くん、ありがとう。

 

 

 

 

薮担になって5周年を迎える今日、投函する予定のお手紙と水引のカード。

水引は、梅結び

意味は「固く結ばれますように」。

薮くんとの縁が、この先も固く結ばれ続けますように、という意味を込めて。

 

6年目も、薮くんの顔と顔以外全部好き❣️

 

 

愛を込めて。

 

 

(@82yb_)